「刀使ノ巫女 琉球剣風録」感想

 発売からかなり時間が経ってしまいましたが。

 すらすらと読める、大変面白い小説でした。中でも私が感じたのは以下の三点の面白さです。

  • 刀使ノ巫女」としての面白さ
  • 刀使ノ巫女を拡張する作品」としての面白さ
  • 「異能力剣術バトルもの」としての面白さ

 

刀使ノ巫女」としての面白さ

 本小説を読み終えて、私の一言目の感想は「刀使ノ巫女だった」でした。ツイッターでもそういった感想は多く見られますし、多くの人が同様の感想を抱いたのではないかと思います。

 琉球剣風録は実に刀使ノ巫女でした。そう感じた理由はいくつかあるのですが、大きな理由として、キャラクター性とそれに伴うシナリオの方向性の類似が挙げられると思います。

 既に多く指摘があるように、朝比奈北斗の置かれた状況は姫和のそれによく似ています。かつて大切な人から掛けられた言葉が、現在の自分を縛る呪いになっているという状況です。また北斗は姫和とだけではなく、かつて自分の弱さで仲間の刀使を救えず、それをきっかけに強さを求めたという点で真希と、また自分の(技能的・身体的)限界を超えるために正道ではない力に手を出したという点で結芽、ひいては親衛隊の全員とも共通する部分があります。
 姫和と真希はアニメにおいて、「対」である隣に立つ存在によってそれらの呪縛から解き放たれます。姫和は可奈美によって、真希は寿々花によって。
 本作においても、それは同じでした。北斗を呪縛から解き放ったのは、栖羽の覚悟、北斗を助けたいという強い決意です。「対」に焦点を当て、その「対」によって問題の解決が行われる。そんな物語構造が、私は極めて刀使ノ巫女的であったと感じました。

 ところで栖羽の方に目を向けてみると、作中で彼女は彼女なりの戦う理由を見つけ、大きく成長を遂げています。私はこの栖羽の成長も、実に刀使ノ巫女的だと感じました。アニメ「刀使ノ巫女」ではしばしば「戦う理由」がテーマの一つとして描かれています。第4話では可奈美が姫和と共に戦おうとする理由を、第10話では舞衣が彼女なりの戦う理由を見出し、語ります。第15話では薫が沙耶香に益子家の戦う理由を説き、それから自分なりの戦う理由について考え続けた沙耶香は第23話のタギツヒメ戦を経て「荒魂を救う」という理由を見出します。また他にも、波瀾編全体は姫和の戦う理由、戦ってきた理由に焦点が当たるエピソードだと捉えることもでき、それが第21話での姫和の慟哭に繋がっています。登場人物それぞれの戦う理由の獲得と、それに伴う成長は、まさに刀使ノ巫女の扱うテーマの一つだと言えるでしょう。
 栖羽の「大切な人を守りたい」という理由で私が思い出したのは、舞衣の戦う理由でした。舞衣が上述のように第10話で語った理由もまた、「彼女の手に届く範囲の人たちを守りたい」というものです。舞衣は非常に優秀な刀使ですが、しかし天才としては描かれていません。円盤第5巻のブックレットSSでは、純粋に剣術を楽しんでいる可奈美に、舞衣自身との差を感じている描写もあります。強引な捉え方ではありますが、その「取り残される」という感覚は、栖羽と舞衣で共通するところかもしれません。そんな二人が似たような戦う理由に至ったことに、強い納得感がありました。

 

刀使ノ巫女を拡張する作品」としての面白さ

 アニメが放送されていた頃から、私は時々この作品のノベライズが読みたいということを口にしていました。それはこの作品が剣術の理合の上に立っており、その理合をより深く知りたかったためと、小説ならではの深い心情描写を読みたかったからでした。(その願望はある程度、円盤のブックレットSSで叶えられることになりました。)琉球剣風録はその方面で「小説だからできること」を意識して書かれた作品だということが、本編を読んでいても、あとがきからも伝わってきます。北斗の強さへの執着や、栖羽の戦う理由の欠如に対する悩み。そういった心理的要素を明確に提示し、文章を尽くして説明することで理解しやすくできるのは、やはり小説という媒体の強みのように思います。

 その小説ならではの強みを生かすことで、本作ではこれまでに語られていなかった設定をいくつも開示し、刀使ノ巫女の世界観を大きく拡張したと思います。これは刀使ノ巫女の世界を知ろうとする上で、大変面白いものでした。特に私が大きく感じたのが、写シの使用感についてです。
 これまで写シの仕組みやダメージを受けたときの精神的負荷などについて説明はされてきましたが、実際に写シを斬られた際の感覚について具体的に表現されたのは、本作が初めてだったように思います。それも小説ならではの具体性をもって、です。その描写に、私の想像が甘かったことを思い知らされました。私は写シという能力はもっとふわっとしたものだと捉えていて、痛みなどの感覚は全て写シが剥がれる瞬間までカットされ、剥がれる瞬間に疲労のような感覚でもって精神に押し寄せるのだと思っていたのです。ですが、琉球剣風録で描かれた写シはそんな温いものではありませんでした。ページ数で言うと183ページの冒頭、刃が身体の中を通り、身体組織を破壊していく感覚が描写されています。それは自分の感覚として想像すると強い嫌悪感を催すもので、栖羽が写シを嫌がる気持ちもよく分かるというものです。
 この描写を読んで、写シを斬られるとはこれほど苦しいものなのかと、認識が改まりました。また、これまで何気なく眺めていたアニメの描写についても認識が変わりました。例えば第9話での対刀使用途で開発された矢は、打ち込まれればあんなものが体内に留まる感覚が残り続けるわけです。第22話の可奈美とタギツヒメの戦いを思い出してみると、タギツヒメの突きで可奈美が写シを切らさなかったのが、いかに紫様の言う通り、強い精神力のなせる業だったのか分かります。写シの使用感が具体的に表現されたことで、刀使ノ巫女世界への理解が深まり、アニメの描写の理解まで深まったように思います。

 

「異能力剣術バトルもの」としての面白さ

 本作は間違いなく「刀使ノ巫女」であり、そのシリーズに連なる作品だったわけですが、仮にそれを忘れて単体のバトル小説と見たときでも、本作は面白い小説だったと思います。

 本作の肝とも言える栖羽と北斗の立ち合いパートにおいて、鍵となるのは栖羽の能力と、雲弘流という剣術流派でした。十数回も写シを張れる栖羽の特殊技能が、長期戦に不慣れという北斗自身の弱点を、そして雲弘流の相討ちを厭わない剣が、同時に八幡力と金剛身を発動できないというS装備の弱点を突きます。
 写シの再展開能力は、戦闘の継続性という意味では効果的なものではありますが、作中でも語られている通り、普通はそれ単体で勝負をひっくり返せるようなものではありません。「蟻がいくら集まっても~」という例えは、まさしくその通りだと思いました。ですがこの能力は、北斗に対してだけは絶大な効果を持つのです。普通なら大したことのない能力が、今倒したい特定の相手に対してだけ極めて有効になるというシチュエーションは、相性バトルの肝の一つだと思っています。大好きな展開に、読んでいて心が熱くなりました。
 また、これは再び刀使ノ巫女的とも言えますが、キャラクターの修める流派が物語上で大きな意味を持ってくるというのは、非常に良かったと思います。本作の物語はさらに、栖羽は雲弘流の剣士とは言えない状態から開始します。作中、流派の要諦として何度か相討ちというキーワードが繰り返されますが、栖羽はその観念を自分のものとして理解できていません。その状態では、仮に流派の技を扱えていたとしても、流派を自分のものにしたとは言えないでしょう。
 そんな栖羽が北斗との立ち合いの決め手としたのが、相討ちでした。雲弘流の観念の獲得です。写シの再展開能力の使用は、栖羽が本当の意味で刀使になったことを示すものでした。そしてこの相討ちは、栖羽が本当の意味で雲弘流の剣士になったことを示すものです。
 登場人物の成長と、肝となるバトルの決着を綺麗に一致させたその展開は実に納得のいくものでした。強い能力に手持ちの能力でどう挑むか、場合によってはどう勝利するのか。それは異能力バトルものの楽しさの詰まった部分であり、そこを刀使ノ巫女らしさを交えつつ描き切ったのは、見事だと感じました。

 

 以上、刀使ノ巫女シリーズの一作であり、単体でも楽しめる作品として、本作は実に面白い小説でした。今後もこのような刀使ノ巫女の世界を広げる作品が楽しめていけたら、とても嬉しいことだと思います。